どうもです。真夜中に失礼します今日この頃です。
「フェンシング銀の太田、国体でまさかの敗北・・・」
「ソフト上野投手、まさかの黒星・・・」
最近、こういう見出しをよく見かけます。北京五輪で大活躍した選手が、五輪と比較して明らかにレベルが低いだろうと推定された国内リーグ戦や国体の試合で、国内選手との試合で喫した敗北を、「まさかの○○」と表現しています。
きっと北京五輪での活躍がなければ、この2人がこうして「まさかの・・・」と黒星を喫したことを大きく報じられることはなかったでしょう。長期的な視点でスポーツ選手のキャリアを考えたとき、マスコミに大きく取り上げられ注目されることは果たしてプラスなのかと疑問を抱きます。もちろんスポーツの啓蒙・普及やスポンサー獲得という意味では必要なのかもしれませんが、「持ち上げられる」「叩かれる」の乱高下を自分の励みにできる人と、それをプレッシャーに感じて潰される人で二極化されると思います。
今の時代、かつて甲子園を沸かせた「ハンカチ王子」の様子を報じるところはほとんどありません。仮に報じるとしてもその記事の大きさは、かつてのそれと比較にならないほど小さいはずです。フェンシングもソフトも同じような道をたどるはずです。確かにスポーツの話題が移り変わるのは当然のことなのですが、なんとなく「使い捨て」的な雰囲気があるような気がします。
なんとなくですが、スポーツの見方をマスコミにコントロールされている気がします。結果の良し悪しに一喜一憂し、注目される選手・競技のみを常に取り上げ、視聴者の眼をそちらに向けようとしている・・・視聴率獲得の一番手っ取り早い方法です。また視聴者もそのようなスポーツの見方に慣れてしまっているような気がします。そしてそのようなマスコミ、強いては社会全体が、スポーツ選手一個人を潰しているような気がしてなりません。
そしてこれは何もスポーツの分野だけでなく、あらゆる分野で言えることだと思います。社会や集団が個人を潰す・・・。結果だけで評価されるか非難されるかが左右される素っ気なさ・・・。結果だけでなく、そこに至るまでのプロセスに眼をむけ、そこから評価を見出せるような社会や個人が理想であると私は考えます。